逆境

今日のダーリンから。メモ

西武ライオンズの新人で、いま売り出し中の森友哉選手が、活躍したあとのインタビューで、「高校野球激戦区の大阪桐蔭で揉まれた経験が生きている?」と質問され、「そうかもしれませんね。当時は苦しい試合を何試合もやっているんで‥‥。その経験が今に生かされていることはあるかもしれません」というようなことを語っている。(日刊ゲンダイ8月19日)この「苦しい試合を何試合もやっているんで‥‥」が、いかにも、ほんとうにそうだったんだろうなぁと思える。じぶんのいるチームが、とても強くて、危なげのない試合を続けていられるような状態だったら、どうだったのだろう、ということを思う。門外漢だけれど、想像させてもらえば、「苦しい試合」の経験だけが、選手にほんとうの強さをもたらすのではないだろうか。

予定外の窮地、諦めかける直前まで追いつめられること、じぶんたちの力量を疑いたくなるような経過や結果、天に見放されたかのような運のなさ、自由に伸び伸びしているように見える敵チーム。相手のほうが勝つだろうと、誰もが思うような場面から、敗けているはずのところから、やっと勝つ。そんな、見苦しいほどにじたばたした試合を、どれだけ経験したかが、ほんとうの強さになる。だとすると、準備万端、練習十分、圧倒的な実力、というような理想的なチームで試合を続けていたら、そういう強さは身につかないということになるだろう。このへんが、おもしろいところだ。

あえて、必死にならねば勝てないような弱さ。弱さぎりぎりの強さ、というようなものを、意識的に身につけようとするのは、とても難しそうだ。まずは強くなる、そして‥‥おそらくなのだけれど、「場面」を貪欲につくっていくことなのではないか。いくつもの「場面」を呼び込むような動きをとる。これこそが、「変化のなかに飛びこめ」ということか。このへん、ものすごく興味あることなんだよねー。強さの弱さやら、弱さの強さやら、あるもんなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。ただ強い、強そうで強いってのは、脆いんじゃないかなぁ。