刺さった言葉

糸井さんは毎日かかさずなんでこんなに心に刺さる文章を書けるのだろうか。
と思ったけれど、毎日かかさず書いているから心に刺さる文章が書けるようになっただけなんだろうな。

自分のために書いてるのかと勘違いするぐらい刺さる文章が多くていつもびっくりする。

「あがる」というのは、
 じぶんをよく見せようとするからだ、
 と聞いたことがあります。
 なるほどなぁ、と納得しました。
 その納得は、いろんな経験をしてきたら、
 さらに深くなってきたような気がします。
 
 じぶんをよく見せようという気持ちを、
 忘れられたら、ずいぶん自由になれます。

 これまでよりうまくやろうとか、
 できないことをできるようになりたいとか、
 そういうことは、あってもおかしくないと思うし、
 人の目があろうがなかろうが関係ないです。

 でも、よく見せようとか、
 よく思われようとかについては、
 相手のいることなので、
 相手のするはずの判断を、
 じぶんでしなきゃならないのです。
 それは、無理だ、だってじぶんは相手じゃないもの。

 だいたいのややこしい問題は、
 じぶんの判断できないことで起こります。
 相手のことを、いったん忘れて、
 「じぶんなりのせいいっぱい」を、
 「やってみようか」、とじぶんに言ってやれたら、
 少なくとも、じぶんが取りもどせると思うのです。
 
 「楽しんでやろう」というおまじないを、
 大人になってからおぼえて、とてもよかったです。
 そこには、すでに「じぶんの判断」があるからです。
 そしたら、おどおどしたり、迷ったりが減ります。
 じぶんを失っていないなら、なにがなんでも大丈夫。
 だって、次の一歩を踏み出せますから。
 
 じぶんで決められないことだっていくらでもあるけれど、
 そこに、じぶんで決められる部分を見つけて、
 「じぶんなりのせいいっぱい」を、楽しんでやる。
 ‥‥こんな考えを整理してみたのですが、どうでしょう。


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他にも今日刺さった言葉。


現役の頃何度も言われていたが、社会人になってもまだまだその境地は遠い・・・!


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忙しさに殺されないように、しばらくは文章を読んだり日々過ごしてして感じたことを
振り返る癖をつけよう。


おわりー