4.30
昨日、岡本太郎展に行ってきた。
いろんな絵が飾ってあり、いろんな絵を見て感動したんだろうけど、
振り返ってみると、まともに絵を見ていたとは思えない。
たとえば、絵の横に書いてある題名や説明を読んでから絵を見るときの感情。
感動の仕方を探してるというか、正解を探してるというか、なんだろう。
まっさらな気持ちで素直に感動することができない自分。
おぉ!と言葉にできない感動を味わえたものは、絵ではなく、「殺すな」という文字だった。
あれはなんか来るものがあった。
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あと、振り返ってすごく心に残っているのは縄文土器。
縄文時代っていつだったか忘れたけれど(おい)、あんな昔に作った土の塊が今も残っているということ。
アナログからデジタルへ、っつー流れの今、現存している凄さ。
クリエイティブな活動には絵やら器やら文字やらいろいろあるけど、
やっぱり時代を超えて物を残している人たちは羨ましく感じる。
生きた証っつーのかな。受け売りの言葉だけど。
この文章とか、デジタルに書き残したわけだけれど、いつまで残ってるんだろう。
1000年後も地球上にインターネットがあったなら、まだがんばって検索したら引っかかるのだろうか。
まーどうでもいいけど、とにかく縄文土器を作った人の作品は今も残っている。
この事実になんか感動してました。
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そして今さっき風呂で岡本太郎の「自分の中に毒を持て」を読み終えたわけだが。
やっベーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
久しぶりに衝撃受けた本。いつ以来だろう。
重松清の「疾走」とかかな。わからんけど。
猛烈に自分に響く言葉ばかりで、折り目つけながら読むのをやめてしまうぐらいの衝撃。
感想とかまだよくわからんから文章にもまとまらないけど、凄かったわ。
誰にも毒されてない岡本太郎本人による生きた言葉が書かれた本だと思った。
だからこそこのタイトルなのかな、と。(今書いたらたまたまそう思った)
ぜんぜん文章として体裁のない日記だけど、どうでもいいよな。
なんか猛烈にこの衝撃を書き残しておきたくなった。
おわりーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー