気付き、宣言。
5月最後の日の夜中になぜか記事を書いています。
たくさんのきっかけをいろんな人、文章、出来事、体験からもらい、
すごく気が楽になったのでその気付きと、決意をとりあえず文章に残してみます。
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まずは、昔も読んだことがあったのだが改めて今日心にずしんと響いた詩の紹介。
「生きるとは」
芳村思風
人間において生きるとは、ただ単に生き永らえる事ではない。
人間において生きるとは、何のためにこの命を使うか、
この命をどう生かすかということである。
命を生かすとは、何かに命をかけるということである。
だから生きるとは命をかけるということだ。
命の最高のよろこびは、
命をかけても惜しくない程の対象と出会うことにある。
その時こそ、命は最も充実した生のよろこびを味わい、
激しくも美しく燃え上がるのである。
君は何に命をかけるか。
君は何のためなら死ぬことができるか。
この問いに答えることが、生きるということであり、
この問いに答えることが、人生である。
素敵な詩。
ただ、少々気後れしてしまうぐらいの圧、重さを感じる。
「命をかける」と一言に言うが、自分にはまだ「人生」を賭けて成し遂げたいことは定まっていない。
あの孫正義は高校生で既に「デジタル情報革命をおこす」という志を持っていたようだけど、俺にはまだない。
就活中は、「環境問題の解決とビジネスの両立が俺の志です」とか言ってる時期があった。宇宙一漠然としたキーワードを使って、今はまだ実現されてない野心を語りそれなりに自分をでっかく見せ、納得させようとしていた時期。
結局建前の皮を一枚一枚剥いでいくと、残ったものは志でもなんでもなく、今までの経験(勉強してきた、興味を持った分野)を踏まえつつ、なんかでかいことを成し遂げたいんだぜ、と言いたいだけで設定したフェイクだった。
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いつ死ぬかわからないが、平均寿命生きるとしたら自分に残された一生は意外に長い。
「一生を賭けてこれをやります」と宣言するだけの気概はまだ何に対しても持てていない。
しかし、しかしだ。
学生として生きる残り10ヶ月だけを切り取ってみた場合、理屈じゃなく心底成し遂げたいことがある。
これはもう、頭じゃなく衝動的に、根っこからそう思う。
「京大アメフトでKGもしくは立命に勝つ。」
俺が2005年に入部して以来、2004年のKG戦を最後に、この2つには一度も勝ってない。
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昨年までの2年間は、時間に余裕もあり、コーチ業にも時間が容易に割けた。
とくに昨年は、没頭できる最後の年だと思ってコーチ1年目に学んだことも悔しさも全部背負って自分なりに頑張ってやった。
今年はもろもろの言い訳、もっともらしい建前を理由にあまりグラウンドに行っていない。
たしかに「やるべきこと」は増えたんだけど、どこかでたくさんのことをそれなりに頑張ってこなす生活に逃げていた気もする。
がんばってますよ、充実してますよアピール。
気色悪い自分。
どっかしっくりこない生活。
悶々としていた。
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でも、数日前に尊敬する先輩から送られてきたメール、久々に読んでみた部活同期の文章、昔聞いた監督の言葉、上に書いた詩など数々の文章、今日行ってきた練習での後輩の姿、いろんなヒントを得てやっと目が覚めた。
今しかできない心の底からやりたいことはやる。これをまず前提としてしまう。
そして、やるべきこともやる。ここも逃げずにやる。
たぶん無理ではない。
一生賭けてやることはまだわからなくても、この一年くらいなら、出来るんじゃないか。
この一年をかけて、「最も充実した生のよろこびを味わい、激しくも美しく燃え上がる」ことができるのではないか。
そう今日思えた。
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書き終わってみて、この文章を公開するのは正直、少しためらわれた。
こういう心の中の決め事は胸にしまってこっそり頑張るべきではないのか、と。
ただ、ここはもう宣言してしまうことによる後に引けなさに頼ろうと思う。
たまたま今日が5月最後の日、という区切りであることもついでに利用させてもらう。
英語はTOEIC900とる。
アメフトは2強どっちかに勝利する。
ただ、他のやるべきことも手を抜かずやる。
本気で全部やるために時間管理とか効率化も真剣にやる。
甘え、妥協を捨てる。
アホんなってやろう。
以上。