「考えすぎないほうがうまくいく」を読んでみた。

読んだ本:考えすぎないほうがうまくいく
著者:森毅

京都大学の超有名教授、森毅さんの書いたエッセイ集。
たくさん京大生協で並んでいて思わず購入。

有名な人、という知識以外にあまり知識がなかったので(笑)wikipediaに尋ねてみたところ、

数学者としての業績は論文が2本だけとほとんど無く、教授になるさいには「これほど業績がない人物を教授にしてよいのか。」と問題になったが、「こういう人物がひとりくらい教授であっても良い。」ということで京都大学の教授となった。

らしいです(笑)

京都大学らしさをなんとなく象徴しているエピソードでついニヤけてしまった。

さらに、彼は論文こそほとんど書かなかったものの、たくさんの本を執筆しているのですが、そのタイトルがなんとも面白いものばかり。

キャラの濃いタイトルを見つかる限り羅列してみると、

ベンキョーなんか、けっとばせ! やぶにらみ人生相談
まあ、ええやないか
ぼちぼちいこか
ぼけとはモダニズムのこっちゃ
ええかげん社交術
元気がなくてもええやんか
ぼくはいくじなしと、ここに宣言する
ま、しゃあないか
なんでもありや

\(^o^)/

とりあえず、肩肘張らない脱力系の本をたくさん書かれているということがわかりました。
ここまで徹底してるとホント尊敬するね。かっこいい。

ではでは予備知識はこのへんにして書評を書いてみる。

文章全体を通じて伝わったのは、
「焦ってもしょうがないよ、自分のペースで生きたらいいんやで!」
というポジティブな諦め。

何かと目的意識や強迫観念に縛られて日々ストレスフルに生きてしまいがちな時代に一石投じる内容になってます。

すべての価値観に同意するわけではないけれど、そんな考えのおっさんも(失礼)生きていけるんだよ、という一つの道を示してもらえただけで随分と気持ちが楽になりました。

以下、抜粋とその感想など。

「人生二十年説」
四回あると思えば、そのうちひとつぐらい、うまくいかなくともどうということはない。人生八十年の時代に、ひとつながりで生きるのは、長すぎる。
枠を求めたがるのや、一生を計画したがるのは、現実の一生が変わりやすいことへの怯えだろう。先が決まってないから不安と思うか、先が決まってないから気楽と思うか、暗いよりは明るいほうがいいではないか。さしあたりの今を輝いたほうがいい。

不必要に将来を憂いたり、現在を嘆いたりしすぎる現代の風潮に対する鋭い指摘だなと思った。
不確定な将来に奉仕、準備することばかりに重きを置いてしまうと予想外の状況に突如投げ出された瞬間に、我が身を振り返ってその中身のなさに呆然としてしまうこともあるかもしれない。
そういう意味で、今の自分は今没頭できることが結構たくさんあって、恵まれていると感じる。少なくとも大きな悔いは残らないと思う。

美学がなくなっている。学生が本を読まなくなったというのも、美学の問題だと思う。大学生になったからと難しい本を読みだしても、どうせわからんに決まっている。わからん本なんか読んでもむだ、というのでは美学にならぬ。むだを承知で読むところに美学があるのだ。効率優先合理主義では美学は生まれない。

ハッとさせられる文章。
やってる間に面白くなって、だんだん熱中してやめられなくなる。
そういうプロセスの中に予想外の楽しさ、意味、面白さがあるということ。
そもそも美学は目的とか意味とか超越してる、という考えにも自分なりの再発見があった。
誰が何と言おうがどう思おうが、俺はこれをやめない。そう言える自分の美学は果たして何があるだろう??

オタクは不健全である。また、オタク体験をするのは少数派である。その不健康さ自体、一種の特権性とさえ言えなくはない。みんながオタクになったりしないから、社会は健康を保てる。しかしながら、不健康の許されない社会は文化的に不毛になる。学校だって一つの社会だから、みんなが健康になってしまっては、文化的に不毛になる。

何かにとりつかれて、夢中でやる人のことを彼は「オタク」と定義している。
オタク、が少数派、つまりマイノリティである集団は多様性を保っている。
そうなると、本文から導かれる結論は、多様性=健康。どんな規模の集団であれ、画一的であることは不健康なのだろう。
それは個人の日常にすら言えると思う。

そう考えていると、二年間部活のコーチをやっていた頃、特に一年目の反省が蘇った。
自分の成長体験(成功は特にしていない)を押し付けることで選手を縛ってしまったこと。
個性の違うそれぞれの選手に対し、同じようにテクニックを教えてしまったこと。
やることをマニュアル化して画一的に教えるのは簡単だ。(しかも京大生は受験に慣れてしまっておりそのマニュアルに順応しやすい嫌いがある)
しかしそれでは、結果を出すための工夫をしないし、これさえやってればという甘えを産む。
ただでさえ能力に劣る個人が思考停止してしまって一線を超えられるわけがない。
必ずしも合理的であることがベストではない。

脱線しすぎた。。。

京大は研究者を生み出すのに優れた環境を持っている、と言われることが多いけど、全員が研究者を目指しはしない。自分は部活でアメフトを選んだけれど、全員がやり始めたらそれはそれで気持ち悪い(笑)
いろんなジャンルの人がたくさんいてそれぞれに価値を認め合っている大学である限り京都大学は健全なんだろうと思う。(単位を揃えるためだけに単位をとる、そんな学生も未だ認められているのが素晴らしい笑)

ノーブレス・オブリージ(高い地位や身分にはそれにふさわしい責任がともなうこと)というのは認めない。それでは、権威をいつまでも維持することになってしまう。むしろ、「有名校」という権威があるなら、それを利用して、普通では言えないことを言う、悪役になってほしい。世の中に、悪役がいなくっちゃ、つまらない。

しばらく(特に就活中)考えていたテーマだっただけに興味深い考え方だった。
まさに上に書いてある多様性の肯定に通じるね。
そもそも初めに羅列したようなタイトルの本を量産する大学教授の森さん自身がものすごく変。
究極の自己肯定だな(笑)

自分の大学の部活同期はそういう意味では多様性があって、非常に面白いと感じる。
いわゆる「京大生」の枠を外すエネルギーに溢れていて楽しい。
(入学7年目でまだ京都に残ってる人が半数近くいる時点でかなり謎\(^o^)/)

とりとめもなく、特に印象に残った部分と感想をだらだら書いてみたけれど、
今回読んだ本は特に、全文章を味わって読んでほしい本だと思います。
役に立つ立たないの次元を超えた、ただただ味わい深い文章の宝庫なので。
今回引用した部分はその章の極めてEssentialな部分だけれど、その周りの例や寄り道の文章にこそ魅力がある。
だいたい一つの文章が見開き3ページ程度のエッセイ集なので、飽きも来ないのでオススメです。


以上。