ありがとうの日

5月1日。

誕生日でした。

27歳。

四捨五入はおろか、六捨七入しても、

30歳。

どうみてもアラサ―です。

正真正銘のおっさんです。


一緒に12新卒で入社し、一緒に新卒採用Gに配属された岩崎が

同じ日に誕生日という偶然もあり、2人揃って祝ってもらいました。

↑フルーツだらけ。職場の渋谷ヒカリエの地下で買ってもらったみたい。

↑・・・。痩せます。ハイ。

上は、新卒チームのメンバーみんなから頂いたもの。
下は、同じフロアで働く同期メンバー2人と、法務のエース社員渡部さんから頂いたもの。

本当に嬉しかったです。

法務の渡部さんから

「3分ほどお時間よろしいでしょうか」

と声をかけられたときは、

俺、なんか法務的にアウトなことしたっけな・・・と一瞬焦ったよ。

しかしまぁ本当に感謝感謝。



Facebookでも、個別メッセージをたくさんもらい祝福してもらいました。

本当にありがたい話。

以前、卒業式のタイミングでFacebook見てて感じたんだけど、

SNSのお蔭で感謝の気持ちを伝えやすくなったと思う。

面と向かって言うのもなかなか照れくさいことも、言えちゃったりするしね。

社会人になるタイミングでたくさんの内定者や部活の後輩が、お世話になった人に感謝の気持ちを表してました。

素晴らしいことだと思います。


今日の僕も、たくさんの「おめでとう」をもらい、たくさんの「ありがとう」を返しました。

仕事中ひっきりなしにメッセージが届いてあったかい気持ちになりました。



***



27歳。


さいころ想定していた27歳ってもっと大人だったと思ってました。

実際今の自分を見て、まだまだ未熟だなぁ、子供だなぁ、と思うことばかりでした。

だけど、ちゃんと変化を観察すると、意外に成長もしたかな、とも思います。

部活でも特にコーチの3年間はずいぶん成長させてもらったが、

仕事始めたことがやはり大きなきっかけだったかな。


まず、自分のためじゃなく周りの人のために時間やお金を使いたいと思うようになった。

まわりまわってそれは自分のためなんだけど、個人で完結する愉しみの魅力より、

周りが喜んでくれることの魅力のほうが大きく感じるようになった。

就活で東京に来てる後輩におごったり、京都に遊びに行って後輩の試合を応援したり、

それなりに就活のアドバイスしてみたり。

親に喜んでもらおうと、色々プレゼントしたり実家帰ったりもやっと始めました笑



そして、もうひとつ、自分がどうしたい、どうなりたい!っていう発想じゃなく、

周りにとってこんな自分でありたい、という発想を持つようになった。

これはこの一年の大きな変化だと思う。

自分が!という気持ちが強すぎて、プライド捨てられず、頼ることができず、失敗を恐れて

仕事で迷惑かけまくったことをきっかけに、自分の思いとか捨てて周りに対して与える影響や

仕事のアウトプットにフォーカスできるようになった。

まだまだ未熟だけど、これじゃだめだってとこには気づくことができた。

すごいやつになりたい!という欲求でがむしゃらにやってたけど、

ホントにすごい人ほど謙虚で周囲に気を配れるというね。このへんに気づいた。

そのへん、もっともっと実践できるように成長したいと思ってます。



まぁそんなこんなで、最高の環境に身を置かせてもらい、

やりがいある仕事を任せてもらうこともできていて、

理想の自分には少しずつ近づいてはいるんだと思う。


とは言え自分の能力や、チームへの貢献にはまだまだ不満で、

先輩の世話になりっぱなしなので、迷惑かけることは恐れず、

その代わり迷惑かけた分変わってやろうと思います。


年明けの自分とはまた違う自分になってる実感はあるし、

27歳の一年も、心身ともに健康にがんばろ。


***おまけ

周りにとって自分がどうありたいか、という視点に気づくきっかけとなった番組とか、本とか。

本田圭佑仕事の流儀

「自分がホントに幸せになるときって、人間どのタイミングかなって考えたときに、
自分自身が喜んでいるときじゃなくて、人を喜ばせることができたときに、
ほんまに自分が幸せな感情になるんかな
、と。」

内田 樹 「武道的思考」

スキャンするとは、「自分を含む文脈を知る」ということである。言い換えれば、自分が含まれるこの場において自分がどこにおり、どこに向かっており、何につながっており、どのような働きを託されているかを知ることである。スキャンする力がないものには、自分が果たすべき仕事、自分がそれを成し遂げるためにこの世に生まれてきた当の責務がなんであるかを知ることができない。
若い人は多く誤解しているが、個性というのは内発的なものではない。「呼ばれる」ことなのである。
「自分は何をしたいのか?」という内発的な問いにこだわっている限り、人はグラウンドレベルから抜け出すことができない。
自分が誰であるかを知るためには、自分から離脱して、上空から自分を俯瞰することが必要なのである。そして、自分から離脱して、上空から自分自身を俯瞰するためには、「鏡像的他者たち」との身体的同期が必要なのである。

深いですねー。
これだから、いい番組を見るのと、読書はやめられませんね。
昔わからなかった部分がわかるようになったときのおおお!!感はくせになります。



以上ー!