桜の話

またしても糸井さん

震えた。

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・桜の木があってもなくても、
 なにか困るかと問われたら、
 問う人を納得させられるようなことは言えない。

 さくらんぼが食べられるとか、食べられないとか、
 そんなことを言ってもはじまらない。
 
 なくてもいいのかもしれない、桜の木は。
 満開の桜の下で、ぼくらはなにをよろこんでいるのだ。
 
 桜の木などなくてもいいということばにくらべて、
 言い返すことばのほうは、かんたんではない。
 だけど、しかし、言い返すのはむつかしくても、
 ほんとうのことを、ぼくらは知っている。
 実は、桜の木ばかりじゃなくて、
 ぼくらの知っている世界のほとんどは、
 なくてもいいものばかりなのだということを。

 なくてもいいものとは、
 あってよかったなぁと思うものだ。
 
 来年のこの季節まで、しばらく桜には会えない。
 そのことは少しさみしいけれど、
 やがては、忘れてしまう。
 そして、一年過ぎて、またいまごろに思い出す。
 そのていどにしか、桜のことを思ってはいない。
 だから、なくてもいいかと問われてしまうのだろう。
 
 でも、桜が咲いてよかったなぁと思う。
 手入れをしてきたわけでもないし、
 桜のことを思い続けていたわけでもないのに。
 
 おしゃれも、あそびも、おいしいものも、おもちゃも、
 たのしいもののほとんどは、
 なくてもいいと思われそうなものだ。
 そして、ときどき、あってよかったなぁと思われている。

 この島国に、こんなにたくさんの桜の木がある。
 たぶん、その多くは、人が植えたり育てたものだろう。
 なくてもいいものが、こんなにたくさんあってよかった。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
北国の人たちは、これから、桜咲くたのしみを味わいます。